「木の花憲章」づくりに向けたプレゼンテーションも今回で4回目になりました。話題は今までの抽象的なものから具体的なものへと移っていきます。具体的には子育て・農・加工品・自給自足など。今回は子育てと有機農業が話題となりました。ここでは子育てについてまとめたいと思います。

まず前提として、個々の目に見える取組は一貫した精神性、人生の目的に支えられています。人は誕生し様々なことに出会い死に至ります。その都度の感情・欲望に流されるのではなく、自分を離れ常に学び続けること。捉われやこだわりを離れすべてをいただく気持ちで生きること。外に開かれ自他の区別を超えていくこと。宇宙全体=神の意思で生きることです。

ファミリーの子どもはファミリーメンバーです。子どもと大人は同等でお互い学び合っています。大人が子どもを育てるだけでなく子どもたちは子どもたちの立場で大人を育てます。血縁を意識して日々を過ごしません。お父さん、お母さんとは呼ばずみんなニックネームで呼び合います。

そこにはこんな考えがあります。人は神様からの分け御霊。それぞれの目的を持ち社会のために生まれてきます。父は借り種。母は借り腹。社会が社会のために子どもを育てれば良いのです。つまりファミリーという村全体で子どもを育てるのです。それにより親子の距離感が適度になります。子どもを所有する感覚から離れていきます。子どもは自然に育っていきます。

ファミリー全体でも子どもを所有しません。将来の選択は子どもの意志を尊重します。仮にすべての子どもがファミリーを離れていっても、新たにこの生活を希望する人が入ってくればよい。木の花も自分のものとして所有しない。身内だけのものにせず、外に対して開かれた場所にしていく。それが木の花の精神です。

だからと言って僕たちは親子の絆、身内で育てあうことを否定しません。それぞれの魂が相応しい親子をお互いに選び生まれてきています。そして、それぞれの魂に相応しい学びがあります。大切なのは現象から学び続けることです。

木の花に生まれてきた子はこのファミリーを選んで生まれてきています。身内を通じての学びではなくもう一つ大きな家族での学びを選んで生まれてきているのです。将来どんな大人に成長するのかとても楽しみです。

具体的な子育ての方法に触れていきます。子どもを生んだ母親は2ヶ月間静養し、その後子どもと一緒に過ごしながら家の中で軽作業をします。半年間子どもに母乳を与え、その後離乳食に入ります。ここからは子育て担当者が主に面倒をみます。半年で母乳を止めるのは、子どもの腸の中から乳を分解する酵素ラクターゼが減少するからです。栄養吸収が少なくなり、母乳の栄養が低下してきます。これ以降はスキンシップが大切になります。みんなが親の木の花ではたくさんのスキンシップを与えられ特定の存在に依存することもなくなります。

言葉を話せるようになると、子ども(2歳ぐらい)たちは*食前の祈り、いただきます、ごちそうさまの音頭を取るようになります。その場の空気を読み、呼吸を合わせ、全体をリードします。メンバーとしてのデビューです。

木の花では夕食後毎日、おとなたちの前でこどもミーティングが行われます。この場ではおとなのアドバイスを交えながら子ども同士でお互い語り合い学びあいます。そして週1回、子どもたちだけでグループミーティングを行うようにもなりました。子どもたちが自主的にお互い学びあおうとして生まれたものです。子どもの自主性を尊重してきた結果でしょう。こんな環境の中、子どもたちはけじめのある生活を学んでいきます。

学校教育に関しては、高校までをファミリーの義務教育としています。ですが、勉強に熱心な子にはどこまでも援助をします。今現在、大学で教員を目指す子や東京の専門学校で美容師を目指している子がいます。特殊な教育はせず、個人の能力と希望に応じて進路選択を尊重し応援しています。そのサポートとしてファミリー内では家庭教師も自給しています。教員免許を持っているメンバーや語学に堪能なメンバーがいるため可能なことです。

こんな環境で育つファミリーの子どもの特徴をあげると、快活で元気、物分りの良い子です。子どもの有機栽培と言ってもよいでしょう。うつ病などを抱えケア滞在する人たちの心を開く役割もしています。

目立つ反抗期がないのも特徴でしょう。反抗期は自分を確立するために必要な時期と言われ、それがないと逆に危険と言われます。ですが、それは一般社会の中でのことで、木の花ではそういったかたちでは表れてきません。その理由としては、反抗期のエネルギーを、自分を振り返る力に使っているから。自分の望みを叶えることばかりでなく、自分のことと他人のことを同じように思っているから。思っていることを常に共有し、溜め込むことがないから。などが挙げられると思います。

反抗期は悪いものではなく、それぞれの学びに相応しくあるものですが、反抗期がなくても自然に成長していっています。それが木の花の子どもたちの面白いところです。

最近わがままで親のコントロールが利かない子どもが増えています。我を増幅させ、わがままになっていくのは子どもにとっても苦痛なことです。動物はボスを必要とします。親がボスにならないので、子どもは自分がボスになろうとするのです。子どもが親をコントロールしなければならなくなります。子どものわがままは制御して欲しいという必死な叫びです。親がボスになれば、子どもはその中で自由になれるのです。

けじめのある生活やしつけを大切にし、みんなで育てる木の花の子育ては親を楽にするだけでなく子どもも自由にしていきます。ですが、人はどんな生き方もその魂に相応しい生き方を選んで生きています。親子関係にどっぷりつかりあえぐのも、最後には豊かな学びになりえます。大切なのは学ぶという姿勢でそれを多くの人と共有していきたいものです。

とらわれなくこだわりなく常にいただく気持ちで!


*食前に祈りを捧げるのは、食をかみくだき、神(いのち)を頂く行為であるからです。

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コメント & トラックバック

ただいまです。
木の花を知って2年半、最近はブログとかを読んで、いちいち腑に落ちることばかりですね。

今夜から大町ビレッジに「ただいま」します。
年内にもう一回、木の花に「ただいま」したいですね。特に「パンの日に」

では、また。

海ちゃん

コメントどうもありがとう。
大町ビレッジはどうですか?

木の花では明日「パンの日」ですよ。
「ただいま」出来るかな?

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