そして「本質的な平等」はこんなふうな文章になりました。
素案と比べると全然違うものになっていますよね?

~ ~ 以下、「本質的な平等」の原稿 ~ ~

木の花ファミリーは全体としてひとつのいのちを構成し、すべてのメンバーはその一部として欠かせない役割を担っています。性別や職種といった社会的な役割や能力の違いを超え、誰もが互いに対等であり、完全に平等です。
大自然の中で、すべてのいのちは互いに生かしあって存在しています。いのちはそれぞれの個性に応じた欠かせない役割を持ち、互いに対等です。一方、自我を持ち、自他を比較する人間の心は、本来平等であるはずの人々の関係に格差や支配をもたらしてきました。
そこから生まれるさまざまな問題を解決しようと、人間社会は法にもとづいた形式的な平等を作りだしてきました。しかし、こうした方法は、本当に人々の個性を花開かせ、真に平等な社会をもたらすのに十分なものでしょうか。
私たちは、人間が真の平等に至るには、いのちの本質を見据え、その姿にならう必要があると考えています。自然の営みを部分的に見ると、そこは互いの生存をかけた競争の世界にも見えます。しかし、より大きな視点で見れば、自然はいのちのバトンタッチで成り立っており、すべては循環していることが分かります。その視点に立ったとき、人はいのちが持つ本質的な平等を見出すことができるのです。
私たちは不平等を生み出す心を日々の暮らしの中で見つめあい、手放すように心がけています。皆で語り合い、自らの心の枠を広げることで、他によって生かされ、他を生かす存在としての自分に気付くことができます。そして、自らの役割に対する自覚とともに、他の存在への感謝の心が育っていくのです。
あなたはわたし。わたしはあなた。つながりの中で生かし合うこの世界で、すべてのいのちはひとつであり、本質的に平等です。互いを尊重し、信頼しあう暮らしの中で、私たちは家族の絆を深め、いのちの本質に限りなく近づいてゆくのです。

素案の「本質的な平等」はこんなふうに変化していきます。

~ ~ 以下、「本質的な平等」の第2案です ~ ~ ~

大自然の中で、すべてのいのちは互いに生かしあい存在しています。いのちはそれぞれの個性に応じた欠かせない役割を持ち、互いに対等です。あなたはわたし。わたしはあなた。つながりの中で生かし合うこの世界で、すべてのいのちはひとつであり本質的に平等なのです。
こうした自然の姿にならったときに、家族関係もまた自然の理に沿ったものとなります。木の花ファミリーは全体としてひとつのいのちを構成し、メンバーはその一部として欠かせない役割を担います。性別や職種といった社会的な役割意識や能力の違いを超え、誰もが互いに対等であり、完全に平等なのです。私たちの生活におけるルールや規範は、すべてこの本質的な平等に基づいています。
しかし、自我を持ち、自他を比較して優劣をつける人間の意識は、本来平等である関係を対立させ、格差や支配、そして差別を生みだしてきました。そうした意識が自然の摂理を「弱肉強食」の生存競争と見なす視点を作ってきました。その結果、自然界のすべてのいのちが互いを不可欠な存在として生かし合っているという認識を欠いてしまうのです。社会的な不平等がこうした意識から生まれたものである以上、この不平等をなくすためには、法制度を整え、形式的な平等を作り出すだけでは不充分で、意識の変化こそが必要なのです。
私たちはそれぞれの中にある不平等を生み出す心を日々の暮らしの中で見つめあい、手放すように心がけています。みんなで語り合い、他の視点を取り入れることで、自らの心の枠を広げ、全体の中で他によって生かされ、他を生かしている自分に気付きます。それにより人は自らの役割を自覚するとともに、他の存在への感謝の心を持つことができ、自然界に流れる利他の精神、そして本質的な平等へといざなわれていくのです。自然の姿にならった家族の絆は、互いを尊重し、信頼しあう暮らしを通して日々深まっていくのです。

憲章の文章がどんなふうに練りあがっていくのか?

これからはその過程を皆さんと共有していこうと思っています。
第一弾として、もうすでに完成している「本質的な平等」の素案を紹介します。
この文章がどんなふうに変化していって最終的に仕上げられたのか?
ご覧下さい。

~ ~ ~ ~ ~ 以下、本質的な平等の素案 ~ ~ ~ ~ ~

大自然の中で、すべてのいのちは互いに生かしあっています。いのちはそれぞれに欠かせない役割を持ち、互いに対等です。つながりの中で生かし合うこの世界で、すべてのいのちは本質的に平等なのです。あなたはわたし、わたしはあなた。この本質が見えた時、すべてが一つであり平等であることが明らかになります。この世界にあるのは役割の違いだけなのです。私たちはこの本質的な平等に倣い、表面上の役割や能力の違いを超えて、心をひとつにして暮らしています。
ところが、この世界には不平等が溢れています。それは人間の心が生み出したものです。自我を持ち「自分」という意識を持つ人間は、「自分」の立場にこだわり、人と比べる傾向を持ちます。この傾向に陥ると、おごりや不満、劣等感や優越感が生まれ、対立や格差に繋がります。不平等を自ら創り出すことになるのです。
人間社会はこの現実に対して、形式的な平等を生み出してきました。しかし、真の平等には至らず、社会の不平等はなくなっていません。一方、自然界にも優劣があり、一見、不平等に見えます。しかし、その背後には利他の精神が流れ、それぞれがそれぞれの役割を果たしています。多様な個性が尊重され、対等なものとして生かしあっています。自然界では、個性の尊重に基づく本質的な平等が成立っているのです。社会から不平等をなくすには、自然に倣う必要があります。
そのために大切なのは、心を見つめていくことであり、木の花では日々この実践を行っています。正直に自分の想いを出しながら、みんなと共有して、心の中のとらわれを手放していきます。自分の枠を広げて、全体の中の自分を意識出来るようにしていきます。すると、この世界ではすべてが平等であり、役割の違いだけであることが見えてきます。それにより、人々の違いを尊重できるようになり、自らの役割への自覚や互いへの信頼を深めることが出来るのです。
私たちの暮らしは本質的な平等を目指しています。そして、それは日々の心磨きに支えられているのです。

このブログは、憲章創りのためにいさどんからメンバーを対象に
プレゼンテーションをし始めたことをきっかけに生まれました。
それは昨年の11月です。

ですが、憲章創りの準備はそれ以前から始まっていました。
憲章創りの最初は昨年の7月に遡ります。

新しいメンバーが増えて、あらためて共有している精神を確認する必要があること。
海外のエコビレッジには憲章があること。
そんな話題の中で、木の花でも憲章を創ろうという動きが生まれました。
この祭、他のエコビレッジの事情に強い道代ちゃんがリーダーに選ばれました。
そして、有志のメンバーとともに憲章チームが出来上がりました。

まず、憲章チームで木の花の心構えについてのワークショップを企画、実施しました。
6人ずつグループに分かれ、憲章チームのメンバーがグループのファシリテーターをしました。
グループ協議は、みんなでわいわいがやがや自分たちがこの暮らしを選んだ理由などを語り合い、とても豊かな時間となりました。

このワークショップの意図は、みんなで木の花で大切にしている精神を確認することで、憲章項目のアイデアを得ることでした。
今の憲章項目のもとは、このワークショップにあります。

ここから憲章創りは始まりました。

憲章創りは今、「家族」に取り組んでいます。
「家族」の概要はこのブログで紹介した通りに決まっています。
小項目については、みんなで再検討した結果、以下のようになりました。

1.本質的な平等
2.ファミリーメンバーとは?
3.ファミリーの中の個人
4.パートナーシップ
5.血縁について
6.教育・子育て
7.社会の中の家族

木の花ファミリーの暮らしの底流には、一人一人の個性が活かされた本質的な平等が流れています。
まずはその説明をして、その後、個人、パートナーシップ、社会と視点を広げていく構成になっています。

憲章の素案はいつも僕、なかのんが書いています。
そして、それをいさおちゃんに修正してもらっています。〈時に大幅に修正されます)
その文章をもとに、憲章チームで検討し、大人会議でシェアするという流れで憲章創りを進めています。

先日、「本質的な平等」の文章が決定しました。
この小項目は決定までに何度も修正しました。
一度、憲章チームで決定した文章が大人会議で分かりにくいと言われ、差し戻されたりしました。
そんなことを繰り返したので、素案と完成作品は全然違うものになっています。

憲章創りが進むにつれ、みんなの目が肥やされ、鋭くなっています。
それに耐える文章を書くのは、本当に大変で、どんどん狭く厳しい道に入っていくようです。
でも、憲章はそれぐらいの厳しさを超える必要があるのでしょうね。

これからどんな文章が生まれるか?
楽しみにしていてくださいね。

木の花憲章創りは今、「家族」について検討しています。
概要が決定したので、皆さんにもシェアします。
ご意見があったら下さいね。

★ ☆ ★ 以下、憲章本文です。 ☆ ★ ☆

家族の概要 

私たちのあり方をあらわす言葉は、「血縁を越えた大家族」です。
一般に、家族は「血縁で構成され、日常生活を共に営む集団」と定義されています。社会の中で、家族はもっとも近いいのちのつながりを表していると言えます。一方で、人間はいのちのつながりを血縁の遠近で分けて、家族という枠組みを作っていると言うこともできます。
いのちはその本質として、互いにつながり、活かし合って、ただひとつの宇宙を創りあげています。すべての存在は光の子であり、ひとつらなりの大きないのちです。家族の本質をいのちのつながりとするならば、すべてのいのちはひとつの大きな家族です。それが、この世界を創造し、ひとつに束ねている意志のあらわれです。
その意志が純粋に表されているのが、自然界です。自然界の仕組みにもとづいた生活を実践したとき、人々は血縁という枠を越え、新たな家族を創り出して絆を深めていきます。多様な人々が集い、調和し、それぞれの個性を花開かせる場所。善意と愛をもって互いを活かし合い、支え合って生きる暮らし。それを実践しているのが、木の花ファミリーの暮らしです。
それは、自らが思い描いて実現する暮らしではありません。この世界を創った意志に寄りそい、すべてを委ねて初めて実現する暮らしです。これからの時代、その想いは血縁を越え、人々の作りだしたあらゆる境界を越え、大きな「家族」を形づくってゆくでしょう。やがて世界がひとつの家族になる日を想いながら、私たちは自らに与えられた役割を日々淡々と果たしていきたいと願っています。

あけましておめでとうございます。

昨年から制定準備を進めている木の花ファミリー憲章。
世界観の原稿が出来上がりました。

憲章チームで言葉を練りに練って作成したものです。
分かりやすさ+みんなを真理に誘う文章になるように心掛けましたが、
まだまだの部分もあるかと思います。

率直な意見を皆さんから頂けると嬉しいです。

☆ ★ ☆ 以下、憲章の本文です ★ ☆ ★

世界観の概要

宇宙の成り立ちや生命の神秘は、いまのところ科学で完全には解き明かされていません。したがって、それは心を通して認識することになります。
現在、過去、未来、そして全宇宙へと、心はどこまでも思いを馳せることが出来ます。
人間が自らの視点を離れ、この世界をありのままに眺めたときに、一つの大きな法則が見えてきます。また五感を超えた感覚、すなわち直観を通して見出すことが出来る宇宙や生命の姿もあります。私たちがこの憲章で語る宇宙や生命は、こうした方法で導き出したものです。
私たちは宇宙に始まりも終わりもないと考えていますが、ある地点を区切り、そこを「始まり」と見なすことも出来ます。現象をありのままに眺めていると、すべての現象が「想い」という種から生まれていることが見えてきます。宇宙も同じです。「はじめに言葉ありき」と聖書にありますが、言葉とは「想い」のことです。「想い」のみが存在している時点。そこを始まりと見なします。
「想い」は圧縮して爆発し、「相反するもの」を生みだしました。磁石の両極のように、相反するものは惹かれ合い、新たな振動を生みだします。それがこの世界を創っています。
相反する存在により、比較が可能となり価値判断が生まれます。光と闇、善と悪、美と醜、大と小などは比べることによって生まれた価値判断です。
この世界で生かされている人間は「自分」という意識、すなわち自我を持ち、自他を区別するようになりました。それによって所有の概念や欠乏感、そして欲が生まれます。そうした欲にもとづいて、人々が自分に都合の良い世界を作ろうとしてきた結果、人々は病み、争い、自然を壊してきたのです。
自我を通して物事を認識する人間は、こうした現象を「問題事」としてとらえます。それを解決しようと目の前の現象を深く見つめた者は、ある事実に気付いていきます。それは、すべての存在が「想い」から創られているということです。
「想い」はあらゆる価値判断を超えた善意と愛、そして調和から成ります。これは自然界から教えてもらえる事実です。自然界では、お互いの存在が生かしあっています。これは利他の精神の顕れです。善意により繋がり、愛が生まれ、愛により絆が生まれ、調和をもたらしているのです。悪、醜、偽、欲、貧など、この世でマイナスの価値を与えられている事柄も、すべてはこの「想い」、善意と愛と調和から生まれています。「想い」に立ち返れば、すべてはひとつなのです。
私たちは目の前の「問題事」を通して、この世界を創っている「想い」を認識する道を与えられています。「想い」を認識した時、人は善意と愛と調和に目覚めます。これは心磨きの道です。より多くの人が心を磨くようになれば、世界は善意と愛と調和で満たされていくでしょう。それが、私たちの生きている世界なのです。

自然観

大自然は「地水火風空」の五つの要素から成り立っています。聖書に描かれた世界の創造が「光あれ」で始まるように、すべては「火」、つまり太陽の光から始まります。
太陽の光は海を暖め、雲を生み出し、雨を降らせ、気圧の変化で風を呼び起こします。大地は太陽の光と雨で植物を育み、風はそれを鍛え育てます。植物は食べ物となり、住処となって動物たちを養います。こうして、地表は豊かな緑で覆われ、動物たちが栄えて、いのちの活動、すなわち「気」が地に満ちあふれます。
満ちあふれたいのちたちは、互いの存在を必要としあっています。たとえばシマウマは草を食べ、ライオンはそのシマウマを食べます。その死骸や排泄物を小動物や微生物たちが土に返し、それを養分として草が育ちます。いのちといのちの織物の中、生命は他の生命へと変化し、受け継がれていきます。いのちは決してなくなることはなく、この世界に死は存在しません。
宇宙の暗がりに青く輝く地球。いのちが満ちあふれる星。善意と愛でつくられたこの調和の世界を、人間は自らの都合で作り替えようとしてきました。
自然は循環と調和によって成り立つひとつらなりのいのちです。すべての存在は光から始まり、私たちは皆、光の子として存在します。そのことに気付き、自然に顕された利他の精神に倣うことで、私たちの生活もまた調和を取り戻し、いのちの美しさで満たされるでしょう。

ひとつらなりのいのち

人間は自我を持つことにより、「自分」という意識を持ち、自他を分け、「個」を認識するようになりました。そして個体の消滅を死と呼びます。しかし、死と呼ばれるものは、新しい旅立ちです。生命力が身体から抜けると、個体の細胞は解体され、万物の中にちりぢりになっていきます。そして魂もこの世界の本質に戻り、微細になっていきます。それは全体の中に帰っていく美しい瞬間であり、また旅立つことで、いのちの織物は続いていきます。
魂は次元を超えた存在であり、太陽、地球、人間、動植物、そして微生物に至るまで、すべての生命は魂を持っています。その魂は「想い」そのものです。そして、「想い」はこの世界を生み出した元の「光」から出来ています。すべての存在は「光」の子であり、すべてのいのちは「光」によってつながれた家族です。

循環の中の暮らし

すべての生きものと同じように、私たちは自然の一部であり、自然に生かされている存在です。自然界では必要なところに必要なものが過不足なく行き渡る完璧な循環の仕組みが成り立っています。そこに貫かれているのは互いに生かし合う利他の精神であり、善意と愛からなる調和です。
一方、自我を与えられた人間は「個」としての意識を持ち、自他を区別するようになりました。自然の一部としての認識を失い、つながりから切り離された人間は、いつしか自然を支配の対象と見なしていきます。孤独や不安から必要以上のものを求めるようになった人間の心は、すべての生命に平等であるはずの循環の仕組みに大きな歪みを生み出しました。この歪みは世界に自然破壊をもたらし、飢餓や貧困を作り出しています。
こうした現状に対する取り組みがエコビレッジの暮らしです。エコビレッジは自然に沿った生活の仕組みを大切にします。自然に学び、その利他の精神に倣った暮らしは、人と自然とのつながりを回復させ、人と人との信頼関係を取り戻し、人が自然の一部として生かされていることを思い出させてくれます。
エコビレッジの暮らしが人々にもたらすものは、いのちのつながりの中で生かされている安心と幸福感です。海、山、農村、そして、都市と、これからさまざまな場所でエコビレッジが生まれていくでしょう。そのつながりが世界中に広がれば、善意と愛から生まれる循環が私たちの生活を真の豊かさで満たすに違いありません。

木の花憲章は、自然を明文化しようとしています。

その内容は時に難しくなることもあります。

ですが、言葉を図に置き換えることで理解が容易になることもあります。

美雅ちゃんがそこで話されている内容を理解し、図に落とし込む才能を持っています。

ここに上げるイラストたちはそんな美雅ちゃんが生み出したものです。

このBLOGで書かれていることを理解する助けになると思います。

 

憲章創りは今、世界観の文章を検討しています。

細かい話合いをしているため、このBLOGは少しお休み状態になっていました。

 

ところで、このBLOGにはたびたび、神様が出てきます。

私たちにとって「神様」は日常的に使われる馴染みのある言葉です。

全宇宙と一つであり、世界そのものでもあり、私たち一人一人でもある。

宇宙の始まりから今まで変わることなくある善意と愛と調和からなる「想い」

私たちは神様をこう捉え、御心のままに生きる暮らしを心掛けています。

 

ですが、神様は人によっていろいろな捉え方をされています。

私たちが意図している通りに伝わらない可能性もあります。

そこで神様という言葉を憲章には含めないことにしました。

よりみんなに分かりやすく伝わる文章を目指して試行錯誤中です。