憲章チーム&木の花経理担当のなかのんです。

公開するのを忘れていたのですが、規約、「生活・概要」に先んじて、

経済概要の文章が出来上がっていました。

木の花は対外的には「お財布1つ」。内部では「お金のいらない世界」が実現しています。

そんなユニークなファミリーの経済システム。

その精神を謳ったものがこの「経済・概要」です。

 

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木の花ファミリーでは「お金のいらない世界」が実現しています。メンバーはそれぞれの能力に応じた価値を全体に対して提供し、生活に必要なものを対価なしに受け取ることができます。

ファミリーにおいて、仕事は生活と一体です。労働は報酬を得るための手段ではなく、皆が安心して暮らすための自発的な貢献と考えられています。ファミリーは対外的にさまざまな事業を通じて利潤を得ていますが、その利潤は「家族みんなのもの」であり、全体および個人の必要を過不足なく満たすために使われています。

ファミリーではすべての資産は「家族みんなのもの」と考えられています。メンバーは現金や不動産等の個人資産や共有資産を保有しますが、自発的な意志によってそれらの資産を全体のものととらえています。

こうした仕組みは、制度や義務によることなく個々のメンバーの意志によって実現しています。自然の仕組みがそうであるように、ファミリーではすべてのメンバーがそれぞれの役割を果たしてつながりあい、尽きることのない豊かさを産み出しています。こうした生活を実践する意志のある人であれば、誰でもこの暮らしに参加して、その豊かさを受け取ることができます。

憲章チームのいさおです。大項目「生活」の概要が出来上がりました。ファミリーにとって生活とは何か?という問いに対する、現時点での僕らの見解です。

資本主義社会の中で生活の様々な要素は分断され、商品化されています。農と食、教育と育児、冠婚葬祭、娯楽・・・。生きることの豊かさを構成するこうした要素が、ファミリーの暮らしでは再び統合されています。生きることは、つながること。ファミリーの暮らしに背後に流れるそんな想いを感じ取っていただければ幸いです。

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自然界ではいのちがつながりあい、互いを生かし合って存在しています。私たちにとって生活とは、つながりの中で支え合い、共にいのちを維持し、育むために必要なすべての営みです。

私たちは血縁を超えた家族として互いに支えあい、それぞれの能力を活かして全体のために働きます。共に食べ物を作り、子どもを育て、学び、芸術に親しみ、祈り、喜びを祝い、死者を見送ります。生きるために必要なすべてのものを分かち合い、惜しみなく与え合って、すべての人が不足なく満たされます。

私たちはすべてがひとつであることの自覚のもとに生きることを目指して、共に成長の過程を歩んでいきます。生活のあらゆる場面を通して自らの内面をみつめ、喜びや感謝だけでなく問題事や苦しみも分かち合います。こうした営みによって、生活は目指す理想と分離することなく、生活そのものを通して理想が体現されていきます。それは自然の仕組みに沿って生きる道であり、この世界の奥にある意志と共に生きる道なのです。

木の花ファミリーの「規約」が出来上がりました。ファミリーの精神を表した憲章とは別に、メンバーの権利や義務などについて具体的に記した文書です。

いさどんからのプレゼンが行われる前、(昨年の11月以前)

憲章チームの中だけで文章を考えていた時期がありました。

この当時は、以下のような大項目に基づき文章を考えていました。

 

A 世界観

B 家族

C 生活全般

D 健康

E 経済

F 意志決定

そして、A 世界観 B 家族 C 生活全般の文章は決定していました。

例えば、世界観は以下のような感じです。

今現在、決定している世界観と比べてどうですか?

決定している世界観概要の方がはるかに文章に厚みがあると思うのですが。

こんなふうに僕たちの文章はみんなで磨き上げています。

 

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この宇宙は目に見えない大いなる存在である神の意志(愛と善意の心)により作られています。宇宙は多種多様な姿、働きの生命がそれぞれの役割を果たしながら助け合って営まれている「ひとつながりの命」です。

太陽、星々、水、空気、大地、好物、植物、動物たちから細菌まで、わたし達を取り巻く大自然は調和というひとつの法則の元で複雑に絡み合いながら、宇宙という大きな生命を織り成しています。そんな命のつながりの中で、人は人としての役割を果たすべく生かされています。

この宇宙は神と神から別れた人間が共同で夢を描き共同で創造してゆく大いなる実験の場であり、その中にある生命豊かなこの地球という星は、人間が魂を磨きながら限りなく進化し、学んでいくためにある特別な場なのです。人間は他の生命と調和することで神の意志、姿をこの三次元の地上世界に現していく役割を担っているのです。

憲章「家族」、最後の小項目は「子ども」です。

ファミリーにとっての子どもの位置づけについての記述になります。

このBLOGの(3)かがみ(4)子育てで書かれている内容をまとまたものになっています。

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血縁を超えた家族の絆の中で、愛を育む男女の縁は新たないのちを誕生させ、いのちの伝承を継続させる役割を担います。

子どもは肉親の子どもであると同時にファミリーの子どもであり、社会の子どもであります。大人は血縁に関わらずすべての子どもたちに分け隔てのない愛情を注ぎ、子どもたちはすべての大人を親とし、互いを兄弟姉妹として育ちます。

大人は役割として子どもを教え導きますが、子どもは大人の姿勢を写す鏡であり、その姿を通して大人も育てられます。子どもはメンバーの一員であり、ファミリーの中で役割を担うものとしておとなと対等です。

ファミリーは自由意志で参加する人によって構成される、社会に開かれた共同体です。子どもたちが自ら生きる道を選択するまではファミリーで育てますが、その後の選択は完全に自由意志に任されています。私たちは子どもをいのちのつながりの中で大切な役割を担うものとして育て、社会に送り出してゆきます。

「ファミリーメンバーとは?」に続き、「パートナーシップ」の小項目も出来上がりました。

私たちは自分以外のすべての存在との間にパートナーシップを持ちます。
以前、「文正、理正、現正」で書いたように、己と宇宙、己と太陽、己と地球、己と神様、己と関係するのもはすべて対等で、すべてがひとつです。
そんな中で、特定の個人との間に生まれる縁。深い絆。

そんなパートナーシップについて、ファミリーではどう考えているのか?

読んでみて下さい。

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この世界は一つの「想い」から創られています。この「想い」は世界に多様性をもたらすと同時に、世界を一つに束ねています。すべての生命が繋がり、生かし合う自然の仕組みはその表れであり、自然界にある多種多様な関係はすべて対等です。
自然界を手本とする木の花ファミリーの中には多くのパートナーシップが存在します。力を合わせて同じ役割を果たす関係、異なる役割で互いを補完しあう関係、愛を育む男女の関係、親子関係など。そのどれもが等しく大切な関係であって、上下も優劣もありません。誰にとっても全員がパートナーであり、みんなが善意と愛によって繋がることで、一人が全員のために、全員が一人のためにという関係が生まれます。
すべてが等しく重要な関係の中に、とりわけ縁の深い関係があります。その一つが愛を育む男女の関係であり、ここから新たないのちが生まれ、血縁がもたらされます。すべての関係が学びの機会となりますが、縁の深い関係は所有や束縛、執着の感情を引き出しやすく、より深く互いを振り返る機会となります。こうした感情に捉われず、善意と愛で互いに生かし合う関係を成り立たせることで、パートナーシップは全体に対して開かれ調和をもたらすようになります。そして、個々のパートナーシップのもたらす調和は全体に広がり、大きな調和を紡ぎ出します。
こうして紡ぎだされた調和は、みんなが安心して暮らしていける仕組みの基礎となります。みんなが一つになることで、将来や生活に対する不安のない場が生まれ、パートナーシップは善意と愛に満ちた純粋なものになっていくのです。

何かと多忙なファミリーの毎日。いろいろな事情で憲章づくりの作業もしばらく止まっていましたが、最近はまた活発な討論と原稿づくりを行っています。

「家族」の小項目で、次に完成したのは「ファミリーメンバーとは」の小項目です。みなさんは、「ファミリーのメンバーであること」と聞いて、何を思い浮かべますか?自給自足をすることや、財産を共有したり、一緒に暮らしたりすることでしょうか。実は、ファミリーの規約やライフスタイルに従うことが本質なのではありません。私たちは、ある生き方を実践する志で結ばれた共同体です。ライフスタイルはそれに付随するものに過ぎないのです。

では、その生き方とは、どんな生き方なのでしょうか?この小項目では、それを簡潔に語っています。

木の花ファミリーは「血縁を超えた大家族」として人々が生活を共にする共同体です。人々は自然の仕組みにならった利他の精神で互いを生かしあい、善意と愛により調和した暮らしを作り出しています。ファミリーメンバーは、生涯こうした生き方を実践する志を持った人々です。
木の花ファミリーはひとつの共同体であり、独自のライフスタイルと文化を持っています。共同体がひとつの生命体であるならばひとりひとりはその細胞や器官であり、それぞれの個性に応じた役割を担いながら全体を構成しています。共同体の運営に必要な資産、個人の能力や健康、時間や労力、そこから産み出される新たな価値は、個人のものであると同時に全体のものでもあります。ひとつらなりのいのちとして、私たちはすべてを共有して暮らしています。
生命が常に変化しつづけるように、新たな個性や能力を加えながらファミリーは進化し、その可能性を広げていきます。タンポポの綿毛が風に乗って飛び立ち、新たな地に降りたって根を張るように、こうした生き方はこれから地球上のさまざまな場所に広がっていくでしょう。それは普遍的なものであり、地球の意志の表れです。その意志にすべてを委ね、いのちのつながりに沿った生き方を実践する志こそが、ファミリーのメンバーであることの本質です。

そして「本質的な平等」はこんなふうな文章になりました。
素案と比べると全然違うものになっていますよね?

~ ~ 以下、「本質的な平等」の原稿 ~ ~

木の花ファミリーは全体としてひとつのいのちを構成し、すべてのメンバーはその一部として欠かせない役割を担っています。性別や職種といった社会的な役割や能力の違いを超え、誰もが互いに対等であり、完全に平等です。
大自然の中で、すべてのいのちは互いに生かしあって存在しています。いのちはそれぞれの個性に応じた欠かせない役割を持ち、互いに対等です。一方、自我を持ち、自他を比較する人間の心は、本来平等であるはずの人々の関係に格差や支配をもたらしてきました。
そこから生まれるさまざまな問題を解決しようと、人間社会は法にもとづいた形式的な平等を作りだしてきました。しかし、こうした方法は、本当に人々の個性を花開かせ、真に平等な社会をもたらすのに十分なものでしょうか。
私たちは、人間が真の平等に至るには、いのちの本質を見据え、その姿にならう必要があると考えています。自然の営みを部分的に見ると、そこは互いの生存をかけた競争の世界にも見えます。しかし、より大きな視点で見れば、自然はいのちのバトンタッチで成り立っており、すべては循環していることが分かります。その視点に立ったとき、人はいのちが持つ本質的な平等を見出すことができるのです。
私たちは不平等を生み出す心を日々の暮らしの中で見つめあい、手放すように心がけています。皆で語り合い、自らの心の枠を広げることで、他によって生かされ、他を生かす存在としての自分に気付くことができます。そして、自らの役割に対する自覚とともに、他の存在への感謝の心が育っていくのです。
あなたはわたし。わたしはあなた。つながりの中で生かし合うこの世界で、すべてのいのちはひとつであり、本質的に平等です。互いを尊重し、信頼しあう暮らしの中で、私たちは家族の絆を深め、いのちの本質に限りなく近づいてゆくのです。

素案の「本質的な平等」はこんなふうに変化していきます。

~ ~ 以下、「本質的な平等」の第2案です ~ ~ ~

大自然の中で、すべてのいのちは互いに生かしあい存在しています。いのちはそれぞれの個性に応じた欠かせない役割を持ち、互いに対等です。あなたはわたし。わたしはあなた。つながりの中で生かし合うこの世界で、すべてのいのちはひとつであり本質的に平等なのです。
こうした自然の姿にならったときに、家族関係もまた自然の理に沿ったものとなります。木の花ファミリーは全体としてひとつのいのちを構成し、メンバーはその一部として欠かせない役割を担います。性別や職種といった社会的な役割意識や能力の違いを超え、誰もが互いに対等であり、完全に平等なのです。私たちの生活におけるルールや規範は、すべてこの本質的な平等に基づいています。
しかし、自我を持ち、自他を比較して優劣をつける人間の意識は、本来平等である関係を対立させ、格差や支配、そして差別を生みだしてきました。そうした意識が自然の摂理を「弱肉強食」の生存競争と見なす視点を作ってきました。その結果、自然界のすべてのいのちが互いを不可欠な存在として生かし合っているという認識を欠いてしまうのです。社会的な不平等がこうした意識から生まれたものである以上、この不平等をなくすためには、法制度を整え、形式的な平等を作り出すだけでは不充分で、意識の変化こそが必要なのです。
私たちはそれぞれの中にある不平等を生み出す心を日々の暮らしの中で見つめあい、手放すように心がけています。みんなで語り合い、他の視点を取り入れることで、自らの心の枠を広げ、全体の中で他によって生かされ、他を生かしている自分に気付きます。それにより人は自らの役割を自覚するとともに、他の存在への感謝の心を持つことができ、自然界に流れる利他の精神、そして本質的な平等へといざなわれていくのです。自然の姿にならった家族の絆は、互いを尊重し、信頼しあう暮らしを通して日々深まっていくのです。

憲章の文章がどんなふうに練りあがっていくのか?

これからはその過程を皆さんと共有していこうと思っています。
第一弾として、もうすでに完成している「本質的な平等」の素案を紹介します。
この文章がどんなふうに変化していって最終的に仕上げられたのか?
ご覧下さい。

~ ~ ~ ~ ~ 以下、本質的な平等の素案 ~ ~ ~ ~ ~

大自然の中で、すべてのいのちは互いに生かしあっています。いのちはそれぞれに欠かせない役割を持ち、互いに対等です。つながりの中で生かし合うこの世界で、すべてのいのちは本質的に平等なのです。あなたはわたし、わたしはあなた。この本質が見えた時、すべてが一つであり平等であることが明らかになります。この世界にあるのは役割の違いだけなのです。私たちはこの本質的な平等に倣い、表面上の役割や能力の違いを超えて、心をひとつにして暮らしています。
ところが、この世界には不平等が溢れています。それは人間の心が生み出したものです。自我を持ち「自分」という意識を持つ人間は、「自分」の立場にこだわり、人と比べる傾向を持ちます。この傾向に陥ると、おごりや不満、劣等感や優越感が生まれ、対立や格差に繋がります。不平等を自ら創り出すことになるのです。
人間社会はこの現実に対して、形式的な平等を生み出してきました。しかし、真の平等には至らず、社会の不平等はなくなっていません。一方、自然界にも優劣があり、一見、不平等に見えます。しかし、その背後には利他の精神が流れ、それぞれがそれぞれの役割を果たしています。多様な個性が尊重され、対等なものとして生かしあっています。自然界では、個性の尊重に基づく本質的な平等が成立っているのです。社会から不平等をなくすには、自然に倣う必要があります。
そのために大切なのは、心を見つめていくことであり、木の花では日々この実践を行っています。正直に自分の想いを出しながら、みんなと共有して、心の中のとらわれを手放していきます。自分の枠を広げて、全体の中の自分を意識出来るようにしていきます。すると、この世界ではすべてが平等であり、役割の違いだけであることが見えてきます。それにより、人々の違いを尊重できるようになり、自らの役割への自覚や互いへの信頼を深めることが出来るのです。
私たちの暮らしは本質的な平等を目指しています。そして、それは日々の心磨きに支えられているのです。